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キッシンジャーの呪い

米国の元国務長官ヘンリー・キッシンジャーが秘密裏に中国を訪問し周恩来首相と会談したときの機密文書が、2002年にアメリカ政府がよって公開されたことで明らかになり、昨年は彼が日本を「ジャップ」と表現したということが分かり、最近また来日したりして彼の言動が取り沙汰されています。

1970年代、米国が中国と国交を回復した理由は、一般には「ソ連に負けないよう中国と手を組むことにした」という「敵の敵は味方」の冷戦理論で説明されてきましたが、実はそうではなく、米国はベトナム戦争の泥沼から脱するために中国との国交回復を必要としていたということが、2002年に暴露されました。
しかも、米国は国交正常化に向けた交渉の冒頭から、「北京政府が中国の唯一の正統政府で、台湾は中国の一部としていずれ併合されるべきだ」という中国政府が以前から主張していた「一つの中国の原則」を容認することを中国
に対して表明していたことが明らかになりました。 米国の敗戦という色彩を薄めるために、米国は台湾を見捨てた。米国ははベトナムから撤退した後、台湾に駐留している米軍の3分の2を撤収し、米国がこの撤去を台湾政府に伝えたのは、中国に教えてから半年も経った後でした。

しかし、台湾もあの手この手で巻き返し、2000年には建国以来独裁体制を続けてきた台湾の国民党政権自身が敗退し、民主政権を誕生させ、米国が理想の政治形態として世界中に押しつけてきた民主主義を率先して台湾に定着させることにより、民主主義の模範生である台湾を米国が見捨てられないようにする戦略をとりました。それらが功を奏し、1979年にはアメリカ議会で台湾を見捨てないという「台湾関係法」が通りました。

米政府は、中国には「台湾を見捨てる」と約束する一方で、台湾に対しては「見捨てない」と約束するという、二枚舌の状態になりました。その結果、米国の高官が中国政府と会談するたびに、実は台湾の問題について話し合っているにもかかわらず「台湾問題については話し合っていない」とウソを言わねばならない状態になりました。機密文書が公開されてから、こうしたアメリカ外交の難しさは「キッシンジャーの呪い」と呼ばれるようになっています。

キッシンジャーというと、昔読んだ「キッシンジャー秘録(1979年出版)」を思い出します。ニクソン政権に参加からニクソン
訪中、ベトナム和平 まで書かれています。特にベトナム戦争に関しては回顧録にありがちな独善的記述や言い訳が顕著だったように感じられました。
ニクソン、フォード両大統領の右腕として、冷戦時代の外交史を築き上げた人物。日本の頭越しに米中接近、いわゆるニクソン・ショック(1972年)を実現させた立役者。ユダヤ系アメリカ人・・・。

1972年夏、田中角栄元首相が訪中して日中国交正常化を図る計画を知り「ジャップ(日本人への蔑称)」との表現を使って日本を「最悪の裏切り者」と非難していたことでは、昨年物議をかもしました。キッシンジャー氏の懐疑的な対日観は解禁済みの公文書から既に明らかになっているが、戦略性の高い外交案件をめぐり、同氏が日本に露骨な敵がい心を抱いていたことを明確に伝えている。日米繊維交渉などで険悪化した当時の両国関係を反映しており、70年代の日米関係史をひもとく重要資料といえると。

当時の田中角栄首相の日中国交回復が、独自戦略に走った結果、米国やキッシンジャーの逆鱗に触れたと言われています。米国は同盟国である日本に何の話もなく国交回復を果たしたにもかかわらず、ワン・ワールド主義者にとって世界支配の妨げ以外の何物でもなかったとか。日本が豊かな資本と技術を提供し、中国が無尽蔵の労働力と資源を提供するという関係で成り立つ日本と中国の結びつきに我慢ならなかった。また、角栄氏が、サウジアラビア国王に近付いたことも、更にはオーストラリアとウラン鉱の日本への輸入の拡大強化について交渉したことも、彼を逆なでしたのでしょう。
そのために、ロッキード事件などでマスコミを使ったとき、日本のマスコミもそれに合唱し、日本国民のほとんどすべてもその合唱に加わってしまいました。結果、日本独自の政治、日本独自の歩みは封じられたのも同然であったのでした。ロッキード事件の真相は角栄打倒だったんですね。

有識者の間でさえキッシンジャーの意図するところは分からないと言えば分からない(苦笑)。けれども、キッシンジャーと周恩来の秘密会談によって台湾が見捨てられたように、将来、米国と中国との密談で日本が見捨てられる日がくるかもしれない。 それを考えない政治家は無責任ではないでしょうか。むしろ日本が先手を取って自主独立路線を選択すべきです。キッシンジャーは何度も日本を出し抜いてきましたが、田中角栄氏のようにキッシンジャーの意図を読んで動いたように、日本は常に国益考えた戦略を練るべきです。

キッシンジャー氏「日本は核武装する」…74年に発言 公文書で明らか書かれて
       産経デジタルのニュース 04/07 22:39           

フォード米政権の国務長官だったヘンリー・キッシンジャー氏(83)が1974年8月、「日本は現行の核拡散防止条約(NPT)の枠組みで、多数の核爆弾を製造することができる」と述べ、日本の核武装に強い懸念を示していたことが7日、機密指定を解除された米公文書で分かった。
 70年代の米外交を主導したキッシンジャー氏は、74年5月にシリアのハフェズ・アサド大統領(当時)との会談でも日本の核武装に言及したほか、最近の論評でも日本の核保有の可能性を指摘している。
 今回の文書は、キッシンジャー氏が日本に対して根深い不信感と警戒感を抱いていたことを物語っている。
 米国の国家安全保障会議(NSC)の会談記録(極秘)によると、キッシンジャー氏は74年8月21日にオーストラリアのショー駐米大使(当時)と会談し「私は日本が核を保有すると常に信じてきた」と言明した。
 会談はインドによる初の地下核実験の3カ月後で、キッシンジャー氏は核拡散を懸念する大使に、NPTは核兵器を製造し爆発させた国だけを「核保有国」と定義していると説明。日本が核実験をしないまま「多数の核爆弾」を獲得する可能性に言及した。
 日本が開発中だった気象衛星打ち上げロケットについても「気象観測だけが目的ではないはずだ」と述べ、核弾頭を運搬できる軍事ミサイルへの転用の恐れを示唆した。
 また、80年代には中曽根康弘氏(88)が政治的な実権を握り、「暴力的なナショナリズムが台頭する」とし、中国と対抗する日本での国家主義の高まりに警戒感を表明。「こうした動きを抑えるため、最大限の努力をする」と語った。
 日本は当時、NPTを批准しておらず、キッシンジャー氏は国際原子力機関(IAEA)による保障措置(査察)強化の必要性にも触れた。
                   ◇
 ■根深い警戒感 
 74年にキッシンジャー国務長官(当時、以下同)が日本の核兵器量産に懸念を表明した背景には、キッシンジャー氏の根深い対日不信がある。
 インドの核実験を受け、アジアでの核拡散を恐れるキッシンジャー氏にとって、NPTを批准していなかった日本は「不安定要因」に映ったようだ。
 74年11月の日米首脳会談で発表された共同声明は、非核保有国に対する核保有国の防衛義務に言及。さらにフォード大統領は翌年、米国の「核の傘」提供を文書で三木武夫(みきたけお)首相(故人)に確約した。
 日本はこの時点でNPTを批准しておらず、こうした米側の動きは、日本に早期批准を促すための外交的な「てこ」だった可能性が高い。
 国務省が作成した当時の文書も、非核保有国として安全保障に懸念を抱く日本の不安を解消するため、「核の傘」を含めた「安全の保証」を日本に供与するよう進言。日本は直後の76年にNPTを批准した。
 一方、キッシンジャー氏は今年1月に日本で放映されたインタビューでも「日本は核武装に向かう」と発言。核をめぐる対日観にその後も大きな変化がなかったことを示唆している。(ワシントン 共同)



          キッシンジャー氏に早大名誉博士号「拉致と核は並行」
                       産経デジタルのニュース 04/02 04:47

 ノーベル平和賞受賞者で、来日中のキッシンジャー元米国務長官は1日、東京都新宿区の早稲田大学で行われた同大学入学式に来賓として出席。併せて同大学から名誉博士号を授与された。

 記念講演でキッシンジャー氏は、「地球温暖化による環境問題やエネルギー問題、大量破壊兵器など1国だけでは対処できない重大な問題が発生している。世界的な協力が必要だ」と強調。このあと行われた記者会見で、北朝鮮の核問題をめぐる6カ国協議に関連し、「もっとも大事なことは、核拡散を止めることだ。合意された結論にのっとって非核化のプロセスを進めていくことが不可欠だ」と述べた。
 拉致問題については、「拉致と核問題は、同時並行の形で解決されていくだろう。これは米国の立場とも相いれるものだ」と語った。
     

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コメント

初めて聞くお話が多く、考えさせられます。角栄氏の評価も変わるかも知れませんね。あの娘が、又、シャシャリ出て来るかと思うとうんざりしますが・・・バタバタしていて、パソコンに向かう意欲がわかなくって、ちょっと、皆様にご無沙汰してしまいました。いつの間にかHPの来客数も2万を超えていましたよ。京都スケッチの本もパソコンから依頼が入りました。パソコンって、やっぱりジワジワと効いてきています。これからも、根気良く続けましょう。皆様のコメントに力付けられて続いています。
クロアチアに行く前に少し本を読んだのですが、ヒットラーの傀儡政権下で、行なわれたホロコースト「ヤセノヴァッツ収容所」の事はあまり知られていないようです。民族意識の覚醒を恐れたチトーは一度も訪れなかったそうです。セルビア人、ユダヤ人、ムスリム(イスラム教徒)などが、数十万人以上殺されたそうです。日本の韓国統治や満州国とは大分違うと思うのは「メクソがハナクソを笑う」たとえでしょうか。

投稿: 山口ももり | 2007年4月16日 (月) 11時35分

古い話しですが、園田直をご存知でしょうか、
外務大臣をしていた時、彼はキッシンジャーは要注意人物だと言っていました。
アメリカになびく外務省にカツを入れたと言われていますが・・・冷戦時代の終焉の頃の話ですから・・・。
アメリカの外交官も二枚舌の戦略は今も変わらないと思いますが、昔のアメリカとは今は違います。
テロにおびえているアメリカですから。
個人的には麻生外相あたりに・・日本との同盟を破るのであるなら日本も独自の外交を・・・なんて言ってほしいのですが。
大田総理ではないですが、日本の国民はアメリカに不満があるのに、容認している。
馬鹿にされたり、コケにされたりしたら・・立ち上がらないといけません。
大田総理は戦争に行くと行っていましたが、元防衛大臣よりよほど信頼できます。
私は、基本的にはアメリカの正義を信じていますが、一度くらい脅かさないといけないと思います。
アメリカ人は、意外と気にするのですよ。
そして君の納得するまで話し合おう・・なんていうのです。アメリカから見る世界観を見直すべきですね。

投稿: kju96 | 2007年4月16日 (月) 23時26分

ももりさん、おかえりなさーい!
ご多忙のところ、コメントありがとうございます。
HPの2万hit、おめでとございます。
ももりさんの絵とお話に惹かれて、これからもゲストさんがどんどん増えることと思います。素晴らしいサイトですもの。

角栄氏の娘さんには政界から去っていただきたい(苦笑)
ヤセノヴァッツ収容所は「バルカンのアウシュヴィッツ」とも言われていますね。いったいどの程度の虐殺があったのでしょう。クロアチアでは歴史的な経緯も含めてセルビアに対する反発が強いですね。このバルカン半島だけでなく、西欧の歴史は拷問の歴史とも言われ、アジアの比ではないと思います。

>民族意識の覚醒を恐れたチトーは一度も訪れなかったそうです。
旧ユーゴ連邦では、建国の父でありカリスマ性のあったチトー大統領死去(1980年)直後に経済危機が襲いました。連邦政府は集団指導体制で乗り切ろうとしましたが、経済危機が長引くにつれて、南北経済格差が拡大するとともに各国間のエゴが吹き出す。これを一部の政治家が「民族主義」に転換しました。そして、連邦は崩壊の道を辿りました。多民族国家のユーゴを束ねていたチトー大統領は偉大でした。

投稿: ミーシャ | 2007年4月17日 (火) 02時26分

kju96さん、こんばんんは。
園田さんって、40日抗争で福田さんではなく大平さんに投票して、福田派を除名された人ですね。

>キッシンジャーは要注意人物だと言っていました。
そんなことを言ってましたか。だからでしょうか。その頃園田外相は「我々がアメリカに先鞭をつけるのだ」とよく言っていたそうですね。
私もよくテレビで見ますが、大田総理は戦争に行くと言っていましたが、彼は本当にはガンジーのように非暴力主義者で、無抵抗主義者ですね。自衛のための戦争も認めず、責められても無抵抗が良いと言ってます。
安倍首相と麻生外務大臣と中川政調会長は強気です(笑)が、資源がなく核も持たない日本は、米国とも中国とも上手くやっていくしかないのですが、中国の微笑外交に騙されてはいられない。米国の言いなりになってもいけない。難しいですね~

米国は2種類の人々の分けられますね。
目的主義、現実主義に徹するニクソンやキッシンジャー、べーカー、ゲイツ。
第二のグループはチェイニー副大統領やラムズフェルド前国防長官で、彼らの下にはネオコンと呼ばれるウォルフォヴィッツ世銀総裁やボルトン米国連大使などがいます。彼らは、目的達成を重視しつつも、そこにモラルやイデオロギーといった価値観を持ち込みます。ですから、核不拡散の立場から、本来の米国なら許容しないであろうインドを、同じ民主主義の国として受け容れるのですね。
たまには中国にも米国にも、言いたいことを言えば良いと思います。たまにが効果的(笑)。

投稿: ミーシャ | 2007年4月17日 (火) 02時56分

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