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マンモハン・シン・インド首相演説

日本とインドは、アジアにおける二大民主主義国家ですね。インドが経済的に発展して、国力を増すことが日本の国益になると思っています。

中国の温首相の訪日の際の演説は記憶に新しいものですが、昨年12月14日に公賓として来日中だったインドのマンモハン・シン首相の演説はどのテレビでも報道されませんでした。その衆議院での演説に関するブログがありましたので、ご紹介します。「日本は孤立している!」と繰り返し叫ぶマスメディアが取り上げない理由がよく分かる内容の演説です。産経新聞まで報道しなかったとは驚きです。

東京裁判で日本人被告全員無罪を言い渡した「パル判事」の名前があるからでしょうか? 「10億を超える人々が民族や文化など多元的な要素を抱えた民主主義の枠組みの中で貧困を撲滅し、社会と経済を現代化しようと試みた例は全くありません。」とあり、「戦争賠償要求を放棄」というくだりが中国に対して皮肉に聞こえるからでしょうか?(中国も戦争賠償要求を放棄はしましたが、それ以上の圧力を日本にいまだにかけてきてます) また、「岸信介に感謝していること」や「日印防衛協力」に言及していることなどが、報道各社に隠蔽を選ばせたのでしょうか?

大東亜戦争の評価では、イギリスの歴史学者アーノルド・J・トインビー氏はこう述べてます。
「第2次大戦において、日本人は日本のためというよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々のために、偉大なる歴史を残したといわねばならない。その国々とは、日本の掲げた短命な理想であった大東亜共栄圏に含まれていた国々である。日本人が歴史上に残した業績の意義は、西洋人以外の人類の面前において、アジアとアフリカを支配してきた西洋人が、過去200年の間に考えられていたような、不敗の半神でないことを明らかに示した点にある。」(1956年10月28日/英紙「オブザーバーL)

米国のコロラド大学歴史学部教授ジョイス・C・レプラ氏
「日本の敗戦、それはもちろん東南アジア全域の独立運動には決定的な意味をもっていた。いまや真の独立が確固とした可能性となると同時に、西洋の植民地支配の復活も、許してはならないもう一つの可能性として浮び上がってきたのである。民族主義者は、日本占領期間中に身につけた自信、軍事訓練、政治能力を総動員して、西洋の植民地支配復帰に対抗した。そして、日本による占領下で、民族主義、独立要求はもはや引き返せないところまで進んでしまったということをイギリス、オランダは戦後になって思い知ることになるのである。」(「東南アジアの解放と日本の遺産」より)

オランダのサンティン・アムステルダム元市長
「本当に悪いのは侵略して権力を振るっていた西欧人の方です。日本は敗戦したが、その東亜の解放は実現した。即ち日本軍は戦勝国の全てを東亜から追放して終わった。その結果、アジア諸民族は各々独立を達成した。日本の功績は偉大であり、血を流して闘ったあなた方こそ最高の功労者です。自分をさげすむことを止め、…その誇りを取り戻すべきであります。」
(1985年日本傷痍軍人会代表団がオランダを訪問した時行われた市長主催の親善パーティの歓迎挨拶)

昨夜、
日テレ「太田光の私が総理大臣になったら・・・秘書田中。」という番組で、憲法9条を世界遺産にと言い続ける太田光が、65歳以上の政治家は要らないと言っていました。その理由の中で、団塊の世代より上の年代の人々は、先の戦争をちゃんと総括してないというようなことを言ってました。卑屈にならず、あの戦争を堂々と正しかったと思うなら言えばよかったのに、言わないで来たから若い世代が迷惑を被っていると言うのです。団塊の世代以上の人間は何もしてこなかった・・・だから、引退しろと。いつも、日本が他国に攻められても無抵抗で通せ、何もするなという太田光には疑問を持っていましたが、昨夜の意見には肯ける部分があります。もちろん、年齢に因る差別はいただけませんが(苦笑)
日本は毅然とした態度で大東亜戦争を語るか、あるいは謝罪と莫大な賠償外交をしなければよかったのです。GHQの占領下の時期は仕方がありません。しかし、60年近くずっと中国や韓国・北朝鮮に終わり無き内政干渉をさせているのは日本自身です。平和条約というのは示談が成立したことと同じですから、いつまでも彼の3国のように苦情を言い続けるのは条約違反です。

マンモハン・シン・インド首相演説
2006年12月14日
東京

河野洋平衆議院議長閣下
扇千景参議院議長閣下
安倍晋三内閣総理大臣閣下
衆議院議員ならびに参議院議員の皆様
著名な指導者の皆様ならびにご列席の皆様

 この威厳のある議会において演説の機会を得ましたことは栄誉なことと認識しております。我々二カ国の国民が互いに寄せる善意と友情の表れです。
 ご列席の皆様
 日本とインドは文明的にも近い国であります。我々の最も古い絆を形成するのが、共通する遺産でもある仏教です。二つの文化は歴史を通して交流し、豊かさを増してきました。1000年余り前、インドの僧侶ボディセナ(菩提僊那)は、東大寺の大仏開眼供養に参列するため奈良を訪れました。近代においては、タゴールと岡倉天心が、アジアの偉大なる両国の間に理解の新しい架け橋を築きました。
 科学技術の発展に基づく明治維新以降の日本の近代化と、戦後に日本再建の基となった活力と気概は、インドの初代首相であるジャワハルラル・ネールに深い影響を与えました。ネール首相は、インドが日本と緊密な絆を結び、その経験から学ぶことを望みました。
 インドが日本からのODA(政府開発援助)の最初の受益国になるよう尽力されたのは、当時の岸信介総理大臣でした。今日、インドは日本のODAの最大の受益国であり、こうした援助に我々は深く感謝しております。
 日本の工業は、自動車や石油化学などインド産業の発展のために貴重な役割を果してきました。90年代の初頭、インドが深刻な経済危機に陥った時期、日本は迷うことなく支援し続けてくださいました。
 1952年、インドは日本との間で二国間の平和条約を調印し、日本に対するすべての戦争賠償要求を放棄しました。戦後、ラダ・ビノード・パル判事の下した信念に基づく判断は、今日に至っても日本で記憶されています。
 こうした出来事は、我々の友情の深さと、歴史を通じて、危機に際してお互いに助け合ってきた事実を反映するものです。
 日本を訪れるたびに、お国の発展を見て真に鼓舞され、寛大さに心を打たれます。私は、1992年の訪日を決して忘れることがないでしょう。それは、インドの財務相として初の両国間の訪問でした。
 1991年に前例のない経済危機に対処した際、日本から送られた支援に謝意を述べるための訪日でした。古い型を打破し、グローバル化しつつある世界での競争に備えるべく経済を開放し、新たな前進への道を乗り出す機会を、あの危機は我々に与えたのでした。当時、弾力性や献身といった長所、あるいは逆境にあって如何に機会を創造するかといったことを日本から学ぼうとして、我々は日本に目を向けたのでした。
 新生インドの首相として、今日、私は日本に戻ってまいりました。過去15年間、インド経済は年率平均6パーセントを上回る成長を遂げてきました。近年は一層弾みがつき、成長率は年間8パーセント以上に加速しています。現在、インドの投資率は対GNP比で30パーセントに相当します。1990年代初頭に立ち上げた広範な経済改革の結果、インド経済は、経済のグローバル化と多極化の進む世界の出現によってもたらされた課題やチャンスを受けいれる柔軟性を身につけました。
 インドは、開かれた社会、開かれた経済として前進を続けています。民主的な政体の枠組みの中でインドを変容させようとする我々の努力が成功を収めることは、アジアと世界の平和と発展にとって極めて重要です。これまでに、10億を超える人々が民族や文化など多元的な要素を抱えた民主主義の枠組みの中で貧困を撲滅し、社会と経済を現代化しようと試みた例は全くありません。
 インドは、現在、持続的な高度成長の波に乗っていると思います。サービス主導型かつ技術先導型の経済によるグローバル経済との統合という新しいモデルを開発してきました。今日、インドは、情報技術、バイオテクノロジー、医薬品など、知識を基礎とする分野で主要な役割を担う国として台頭してきました。道路、鉄道、電気通信、港湾、空港などから成る物理的および社会的インフラを拡大し現代化するため、大規模な投資が行われています。こうした発展は、インドの製造業の競争力と生産性を大いに高めるでしょう。
 インドと日本が両国間の結びつきを急速に発展させるための土台は、こうした経過と国際的な筋書きの変化によって生まれました。二つの古代文明にとって、戦略的かつグローバルな関係を含む、強固で今日的な関係を構築する時が到来したと思います。それは、アジアと世界にとって大変重要な意味をもつでしょう。
 我々は、自由、民主主義、基本的権利、法の支配という普遍的に擁護された価値を共有するアジアの二つの大国です。両国間に存在するこの共通の価値と膨大な経済的補完性を活用し、互いに相手国を最重要と認める強固なパートナーシップを築いていかなければなりません。
 また、新たな国際秩序の中で、インドと日本は国力に見合った均衡の取れた役割を演じなければならないという点でも、考え方を共有しています。日印間の強い絆は、開かれた包容力のあるアジアを構築し、地域の平和と安定を強化するための重要な要素です。
 経済関係が二国間関係の基盤となるべきであり、この分野での結びつきを強力に推し進めることが必要です。日印間の貿易や投資は、到底その可能性を発揮しているとはいえません。それとは対照的に、インドと中国、インドと韓国の貿易は好調で、昨年は両国との貿易がおよそ40パーセントの伸びを示しました。中国との貿易は日印貿易の3倍近くに膨らんでおり、韓国との貿易も日印貿易とほぼ肩を並べています。
 経済協力の可能性を十分に生かすには、両国の政府、経済界、産業界の積極的な努力が必要です。
 将来、このパートナーシップを築くことができる最も重要な分野は、知識経済であると信じています。両国の経済構造、比較的得意な分野の均衡状態、人口動態の違いなどを考えれば納得できるでしょう。
 科学技術の分野でも、ナノテクノロジー、バイオテクノロジー、生命科学、情報通信技術といった将来の成長分野での提携を加速させていく必要があります。インドのソフト産業と日本のハード産業は、相乗効果を活用しながら発展しなければなりません。
 心ある賢人同士のパートナーシップは、人事の交流をより盛んにすることを意味します。私は、インドにおいて日本語を学ぶ学生の数が増えることを願っています。日本語は、既にインドの中等教育で外国語の選択科目として導入されています。明日、安部総理大臣と私は、「将来への投資構想」を立ち上げます。今後数年の間に何千人ものインドの若者が日本語を学ぶことができるようにしたいと望んでいます。
 相互が関心を持っているもう一つの分野は、エネルギーの安全保障です。アジア地域全体として、エネルギー供給の安全を保障し、エネルギー市場を効率的に機能させることが必要です。
 我々は貿易とエネルギーの流れを確保するために、シーレーンを保護することを含めた、防衛協力の促進に同等の関心をよせています。
 日本と同様にインドも、増加するエネルギー需要に対応するため、原子力が現実的でクリーンなエネルギー資源だと考えています。これを実現させるために、国際社会による革新的で前向きな取り組みが軌道に乗るよう、我々は日本の支援を求めます。
 テロは平和に対する共通の脅威で、開かれた我々の社会の調和と組織を脅かします。テロには多くの側面があり、その原因も多様で、地理的な境界も無視されるという複雑な問題なのです。我々が力を合わせないかぎり、テロとの戦いには勝てません。
 私は、国連と国連安全保障理事会が今日の情勢に対応できるものになるよう、その活性化と改革に向けて両国が協力してきたことをうれしく思います。両国は国連とさまざまな国連関係機関の効率強化に関心を持っています。この意味において、今、我々が置かれているグローバル化された世界で、各国の相互依存関係を秩序正しく公正に運営していくべく、両国の協力関係を強化しなければなりません。
 アジアで最大の民主主義国と最も発達した民主主義国である両国は、お互いの発展と繁栄に利害関係を有しています。我々は、インドの経済環境が投資のしやすいものになるよう努める決意です。日本企業に是非インドにおけるプレゼンスを拡大していただきたいのです。安部総理大臣と私は、二国間の投資、貿易、テクノロジーの流れを増大させるべく、包括的経済連携協定の締結につながる交渉を開始します。
 我々のパートナーシップは、アジア全域に「優位と繁栄の弧」を創出する可能性を秘めています。それは、アジア経済共同体の形成の基礎となるものです。
 こういった日印間のパートナーシップを拡大させたいという希望や抱負は、あらゆるレベルでの交流を増すことによってのみ現実のものとなります。我々はハイレベルでの「エネルギー対話」を設置することで合意していますが、このような機会がさらに多くの分野で設置されるべきであり、とりわけ貿易と産業分野では不可欠です。
 ご列席の皆様、
 いかなる戦略的パートナーシップにおいても、その礎となるのは人々の友情です。日本の若者の間で映画『踊るマハラジャ』が人気を博していると聞き、うれしく思っています。インドの子供たちは、日本のロボット『踊るアシモ』を見て歓声を上げていました。また、日本ではインド料理店の数が驚異的に増えているようですし、インドでも寿司と天婦羅への人気が高まってきたことは間違いありません。
 2007年は日印友好年であり、日印観光交流年でもあります。さらに、両国を結ぶ航空便の大幅な増便も望んでいます。老いも若きも多くの日本人がインドを訪れ、古代と現代のインドが放つ数多くの輝きをご自身の目で見てほしいと思います。
 インドと日本の新たなパートナーシップという構想は、本日、その決定的瞬間を迎えました。私の訪日はこの構想を具体化するためであり、21世紀をアジアの世紀にするために我々が努力して演じている役割に、将来の世代が感謝することができるようにするためなのです。
 ご清聴、ありがとうございました。

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コメント

こんばんわ、ミーシャさん。
現在の事では、ないのですが、コメント致しました。

ロシアという世界最大の陸軍力、英国に次ぐ海軍力を誇る国に日本が勝った、この日露戦争(1904~ 1905年)は、世界史の流れを変えるほどの影響を与えました。今以上に人種差別に満ちていた当時、史上初めて有色人種の国家が最強の白人国家を倒したという事実は、世界中の国々にとって俄かには信じ難いことだったでしょう。
極端には、白人には先天的能力において劣り、ゆえに抵抗など到底許されない。というのがこの時代の有色人種に共有された通念であり、事実、1908年のアメリカ、スプリングフィールドの暴動では、黒人、白人あわせて2百人が拘留されたが、白人で処罰された者は、一人もいなかったのです。
それを根本から打ち砕いたところに、日本の勝利の驚異的意義があった。
「日本がロシアに勝った結果、アジア民族が独立に対する大いなる希望をいだくにいたったのです」(孫文)
「もし日本が、最も強大なヨーロッパの一国に対してよく勝利を博したとするならばどうしてそれをインドがなしえないといえるだろう?」(ネルー)。
植民地支配を受けてきた多くの有色人種国家が、日本の勝利によって白人支配からの脱却への兆しを感じ、大きな希望を抱いたことをこれらの言葉が如実に物語っています。

大東亜戦争でも日本が、アジア諸国の人々に与えた衝撃では、今まで神のように犯しがたい存在であり、「白人が、同じアジア人の軍隊に破れて白旗を掲げた」その事実を見た瞬間であり、これがインドやビルマ、マレーシア等、アジアの人々の潜在意識に革命的な転換をもたらした事も事実でしょう。
敗戦後も日本へ帰る道を選ばず、インドネシア人と共に戦った日本兵が約2000人もおり、この半数以上がインドネシア独立の為に戦死し、(テレビでも放映されていました)彼らインドネシア人が独立を勝ち得たのは、それら日本人が教えた「日本精神」であったと言われている。
また、1955年バンドンで行われたアジア・アフリカ会議では、「民族の自決」と「反植民地主義」が掲げられ、アフリカ諸国に波及させ、アジア独立運動に関わった人々は、「大東亜戦争が無ければ、アジア・アフリカ会議の存在は無く、日本はアジアの国々の独立を助け、自由をもたらした」とも言われています。

戦後、パール博士は胆石が持病であり、主治医からも、「命にかかわる」と訪日を止められていたのだが、博士は「人生のたそがれどきに、ぜひもう一目だけ、日本を見たい」との強い願いから、無理を承知で我が国の土を踏んだ。
1966年10月3日午後4時40分、細いからだを両脇から支えられた博士は、合掌したまま中央通路を進み、下手から演台に上った。
聴衆が固唾をのみ見守る中、静かな緊張が走った。だが博士は合掌をして深い黙礼を送るだけで、前かがみの姿がかすかに震えている。沈黙の中、苦痛のせいなのか、長身を不器用に折り曲げた黒い影がゆれている。
聴衆は気付いた。強い感動が博士の心をとらえ、そのからだを震わせているのだということを。場内にすすり泣く声が会場に広がり、そんな時間が流れ、やがて「無言の講演」は終わった。
中央通路を通り出口に向かう博士を、観衆は立ち上がって拍手を送った。そして、その殆どは合掌して博士を車まで見送った。無言が人々の心に雄弁に語りかけた数分間であった。
帰りの車中、博士はもらしたという。「胸がいっぱいで、口を開くことができなかった。」ホテルに戻りベッドの上に端座すると、博士はまた長い合掌を続けた。最後の訪日、80歳の出来事であった。
(以上、パール博士の人柄を見る事からも、他の資料より抜粋させて頂きました)

近くは、65年以前の事でもあり、戦地に赴く事に不本意な人もいたであろうが、日本の防衛に、その身を盾にし、国を守った先人の努力に深い感謝と敬意を捧げながら、我々は、この国に生まれ、とりあえずの平和な戦後の歴史の中で自我を形成した者として、子孫にこの国を継承する為に、国家を守り国家を存続させようという決意を有し、導いてきたのだろうか。


投稿: SUKIPIO | 2007年5月26日 (土) 20時35分

SUKIPIOさん、ネール首相が獄中から娘のインディラさんに書いた「父が子に語る世界史物語」と言う本で、そのことを読みました。もう一度、その本を読み直してみます。ミーシャさん、ブログの場、お借りしてすみません。

投稿: 山口ももり | 2007年5月27日 (日) 05時42分

インドと日本は真の友好国になりえると思います。
共産主義国・中国と違って、思想国家インド。
信頼感を間違えなければ友好関係は永遠に継続できるのではないでしょうか、22とも言われる公用語、この人種をまとめるのはヴィーダを始めとする思想。
インドを独占している自動車メーカー・日本のスズキは
戦後50年かけて信頼感を獲得しています。
こうした努力なくしてインドとの外交は成り立たないと
言うことではないでしょか。

投稿: kju96 | 2007年5月27日 (日) 12時22分

SUKIPIOさん、こちらにもコメントありがとうございます。

パール博士の無言の講演には胸が熱くなりますね。ご紹介、ありがとうございます。つくづく歴史というのは今の時代感覚でみてはいけないと思います。
当時の日本を含めた有色人種の国々は、白人諸国に大変不当な扱いを受けました。そこが白人諸国と日本の植民地での統治政策が違う点でもあります。特に、当時の台湾は瘴癘(伝染性の熱病)の僻地であって、統一民族としての歴史もなく人口も少なかった。清国が日本に譲渡したのも、所有権を感じることがなかったせいでしょう。ここに日本は積極的な公共投資をしました。この地を日本と同じ水準に高めようという使命感を持っていたと思います。その根底には白人の有色人種蔑視が常にあったと思います。朝鮮半島も然り、インフラを整備しましたね。西欧の植民地帝国でその植民地を自国と同じ生活水準・文化水準に高めようとした国は皆無です。それどころか奴隷並みか家畜並みの扱いでした。
もし、日露戦争で日本が負けたら、朝鮮は全土がロシアの属領となっただけでなく、中国もまた北半分をロシアに領有されてしまったであろうことは容易に想像されます。
SUKIPIOさん、私は戦後そこかしこで「何が何でも日本が悪い」という主張ばかり聞いて育ちましたので、敢えて日本にも日本の主張があったことと、当時の時代背景を書いています^^ お付き合い下さって有難く思ってます。

投稿: ミーシャ | 2007年5月27日 (日) 15時35分

ももりさん、こちらにもコメントありがとうございます。しかも、早朝!
「父が子に語る世界史物語」にも書かれているんですね。私も読んでみたいです。

投稿: ミーシャ | 2007年5月27日 (日) 15時38分

kju96さん、こちらにもコメントありがとうございます。
インドの人口は10億人、国土は日本の9倍。南アジア最大の軍事大国ですが、同時にアジア有数の親日国家でもありますね。そのインドが資本市場を急速に自由化させ、中国に替わって「世界の工場」となるといいです。インドの昨年10月~12月のGDP成長率は中国を抜いて10・4%でした。経済大国に変身中ですね。インドの大学就学率は中国より高いうえ、難しい英語も比較的容易に通じるということで、欧米企業は中国人よりインド人を雇用したがるそうです。一方、中国は政治的に不安定であり法治国家でなく人治国家。いつ中共政府の強権で会社や工場が接収されるか分かりません。中国製品の危険も最近目立ってきてますね北京オリンピックを待たずして中国で不動産バブルの崩壊が始まるという噂も!
インドでの日本のスズキの企業努力はすごいですね~

投稿: ミーシャ | 2007年5月27日 (日) 16時27分

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