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歴史教育

日本では「自国の歴史に誇りを持つ」ことが危険な考えであるかのように非難する人たちがいます。これは先の世界大戦で「日本だけが悪かった」という戦勝国がつくり上げた歴史を教え込まれてきたことの後遺症でしょう。今の反日を作った原型は米国をはじめとする戦勝国です。世界に誇れるさまざまな日本の姿を学校教育の中から消し去ってしまった罪は大きい。 日本人が自分の国に誇りを持ち、自信を取り戻して生きてほしいと願っています。これは普通のことです。どの国の人々も、自国を誇りに思っています。そいうった素朴な祖国愛を、戦後の日本を担った省庁や政界、法曹界、教育界の人々が奪った。そして、それを左翼思想の反国家的な人々が大いに利用し、今に至りました。憲法改正の論議さえタブー視されてきたことなど異様なことで、世界に例のない国の有様です。

他国の元首や要人に会って、聞かれもしないのにわざわざ日本の悪口を誇張して述べたがる政治家や官僚、ジャーナリストがいますが、そうすることによって自分は他の汚れた日本人とは違うということをアピールしたいのでしょうが、それはきわめて卑劣な行為です。自国を貶めてまで、何を手に入れたいのでしょう。クレバーな相手からは、そういう輩こそ信用されない。利用されるだけです。あ~ 小沢さんが総理大臣になったら、さっそく中国詣でをして白々しいお世辞を述べるのでしょうね。

現在の学校教育での歴史教科書が教える日本の歴史は、あまりにも一面的です。特に、第二次世界大戦前後の日本のこととなるとすべてが悪で、反省の弁ばかり。さまざまなジャンルで日本に貢献してきた人々をないがしろにしてきたと言っても過言ではありません。世界に希有な無血革命・明治維新、日本統治下の台湾・朝鮮の真実、日米開戦の真相など、正しく我が国の歴史を語り継ぐことは当然のことであり、重要なことです。教科書に国の主張を全く載せない国なんて世界のどこにもなく、非常識なことです。が、うちの子供たちの教科書には、米国の故ケネディ大統領が尊敬すると言った上杉鷹山も、あるいは日露戦争を勝利に導いた秋山好古兄弟も出てこない。

例えば、ジンギス汗は中央アジアなど多くの諸国では都市自体を殲滅させた悪魔そのものでしょうが、しかし、モンゴルの国民がジンギスカンを英雄として扱うのは世界の常識です。中国の教科書にも、ジンギス汗が自国の英雄として載っているといるそうですが(苦笑) また、ナポレオンはフランスでは英雄でも、イギリスでは憎き侵略者なわけです。ともあれ、それぞれの立場によって見解の違いがでてくるのは当然で、お互い国の発展に尽くした指導者を認め合い、共存して繁栄しようというのは世界の常識です。隣国の歴史観を強制する中国や韓国に遠慮することなく、世界の常識で教科書をつくれば良いだけのことです。隣国の英雄が自国では残虐非道な悪人になったりします。国の存亡がかかった戦争も、隣国では侵略行為でしかありません。中国と韓国は、日本の指導者をA級戦犯とののしり、隣国の繁栄努力を認めようとせず、自国の繁栄努力だけ押し付けようとしています。これでは祖国の名誉と繁栄を願って死地に赴いた我が先人達が余りに哀れです。隣国を認め自国も認め合う平和共存理念に反します。平和共存理念を否定するのが中国です。隣国と歴史観をそろえられるはずが無いのです。

外国の教科書はその国の主権に属することなので、「直せ」と要求することは内政干渉にあたります。言うまでもなく、中国や韓国が堂々と嘘の歴史を国民に教えていますが、日本政府が苦情を言ったこともなく、国際的にも問題になったことはありません。韓国は、日本人がハングルを普及させて保護に努めたのに、逆に日本がハングルを迫害したなんて教えているトンデモナイ国です。しかも、このような歴史捏造をして自国民に教えているだけでなく、反日教育と共に国際社会にも宣伝しています。日本の植民地政策によって、インフラ整備や義務教育の普及、李氏朝鮮では禁止されていたハングルの採用など、朝鮮半島の近代化と文化振興が促進された点は否めません。また、中国の教科書には日露戦争の記述は全くありません。中国戦線での日本軍との戦いがなければアメリカ軍や連合国の勝利がなかったなどと、第二次世界大戦での中国の役割を過大評価。反日感情を抱かせるような記述も多い。

日本は民主主義的な検定教科書を何十冊と使用し、中国・韓国は全体主義的な国定教科書を一冊しか使用していないなど教育システムが全く違う国において、双方の国が要求するような共通の教育を行うことは難しいですね。中国や韓国では教師用の教科書にまで徹底した反日が書かれているのにまともな教科書が出来上がるのか疑問です。ただし、世界には両国以外にも、戦争の教え方などトンデモナイ記述をしている国々があります。米国も原子爆弾を使用したことを正当化しています。教科書は時の政治と密接な関係があるというわけです。

司馬遼太郎著「坂の上の雲」のあとがきより

「(明治)維新によって日本人ははじめて近代的な「国家」というものを持った。天皇はその日本人的本質から変形されて、あたかもドイツの皇帝であるかのような法制上の性格をもたされた。たれもが「国民」になった。不馴れながら「国民」になった日本人たちは、日本史上の最初の体験者としてその新鮮さに昂揚した。このいたいたしいばかりの昂揚がわからなければ、この段階の歴史はわからない」

「坂の上の雲」には、近代日本のあけぼのである日清・日露の戦争を通して活躍した明治の英雄達が描かれています。小説ではありますが、そこには教科書では学ぶ事の出来ない歴史の真実が書かれています。主人公の1人である秋山好古は、日本の騎兵をつくりあげ、とうてい勝ち目がないと言われたコサック騎兵集団と戦い勝利しました。彼の弟である真之も、勝利は不可能に近いと言われたバルチック艦隊を滅ぼすに至る全作戦を立て実施。この秋山兄弟がいなければ、日本列島も朝鮮半島もロシア領になっていたかもしれません。日露戦争の陸軍を勝利に導いたのは乃木希介ではなく、参謀次長の児玉源太郎であり、騎兵少将の秋山好古です。また、日本海海戦勝利の一番の立役者は連合艦隊総司令官の東郷平八郎ではなく、名参謀の秋山真之です。そして外交面では間違いなく小村寿太郎です。

勝ち目が極めて少ない戦争は、やるべきではないという意見は正論です。当時の日本政府の要人もほとんど戦争回避論者でした。政府系といわれる新聞も自重論を展開。ところが、民衆は開戦論でした。その民衆世論を形成したのは朝日新聞などと学者(帝大七博士)でした! 政府は開戦に消極的で国民を戦争に駆り立てる宣伝をする必要がなかったという稀なケースですね。当時の日本人は国民的気分のなかで戦争へと傾斜していきました。そして、それは大東亜戦争まで引きずっていくのでした。

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コメント

ミーシャさん、こんにちわ。
何時も、記事の内容に思いのこもったコメントを頂きまして、有難うございます。

上杉鷹山(治憲)が藩主に就くのは明和4(1767)。秋田藩主佐竹義和(ヨシマサ)・白河藩主松平定信とともに江戸時代の名君といわれ、当時財政的には破産状態にあった米沢藩の改革にあたり節倹を励行、産業を奨励、学問のため興譲館を、武技修練のため武館を設立した人物として有名で、彼を題材にした小説に、「漆の実のみのる国」があり、多くの作品を普通の言葉で、普通の人々の人生を描き続けた藤沢周平の絶筆となりました。
先日、NHKの放送で沢松奈生子さんが、当作品について語られており、「主人公の治憲と自分に共通項があると感じ、治憲が言っている自分がすべて決める、自分が責任を取る文章を読んだとき、雷に打たれたような印象を受けた」と言われてました。
この様な、人物を歴史書から外す意味が、理解出来ないのは仰る通りだと思います。
「自分が責任を取る」精神は、現代の多くの政治家、企業家を筆頭に日本人に一番に欠けている部分でもあり、戦後教育の産物にもなっている様にも思われますね。
おそらく、戦後も良い人材がたくさんおられたと考えますが、正当な評価がされなかった、また、評価する方の人材が、お粗末であった処が原因でもあったのでしょう。

責任の取り方では、近代の戦争での敗戦国の風当たりの厳しさは、過去の歴史も物語ってます様に、「勝てば官軍」の精神で、歴史が歪曲されてきました事からも、他方の資料での平等な再検証が必要と考えます。
戦後教育の中で、敗戦により学ぶ事が重要とされ、確かに、その事は大事な要素ではありますが、人は、置かれた条件で心も変わります。仮に戦う戦力があれば、やはり同胞の死に怒りを覚え、戦い続けた事になったでしょう。
要するに、敗戦国の国民は教育以前に、何もかもが崩壊した事では、敗戦といった現実を知り、生きる事では既に身に沁みる様な屈辱感と希望を失い、反省から始まる責任は国民に教えるまでも無く浸透しており、その事は、むしろ戦勝国こそが、責任ある正当な判断から戦争の空しさを知り、教えるべき事なのですが、勝った事で正当化する事ノミに廻っている処が問題の様にも思われます。
この様に、国家間の戦後の「戦争への戒め」の不平等とも云える様な考えでもある、戦勝国が敗戦国に反省ノミを促し、敗戦国は卑屈なまでに、反省をし続ける事は、戦後のトラウマを持った敗戦国の人々がいなくなった近い将来に向けては、逆に、日本人であるべき誇りを探る子孫の間違ったナショナリズムを生む事に成りかねない様にも思われ、危惧される事でもありますね。
近代に色んな反省や新たな価値感が表現されているにも係わらず、過去と同じく何一つその方向への良き変化は成されておらず、戦争に関わった国々の大局な面での歴史感の共通理念の確立が成されない事は、今後の人類の愚かな課題となるでしょう。

投稿: SUKIPIO | 2007年6月26日 (火) 12時27分

司馬遼太郎と梅原猛の対立。
二人の対立は空海論や古代日本仏教論など多岐にわたる。最も大きな争点は日本人の原点を何処に求めるかという自己認識の問題。
梅原猛の日本人の自己認識とは、すなわち縄文文化論。戦後から高度成長期を通じて日本文化の原像とされてきた弥生文化に替わって、より自然的で感性的な縄文文化が日本文化の基層と言った。

司馬遼太郎の思想史は、関東で武士が成立する以前の日本の歴史は本来的な意味での日本史ではない。
武士から日本の歴史が始まる。
武士の精神こそが重要なのだ。
それまでの日本史は、いわば中華世界の東端にある小周辺国の古代史である。開拓農民が武装自営するところから日本人が出発する。
武士の精神のリアリズムが合理的精神と科学的技術を蓄積準備し、幕末の対外的危機を突破して国民国家(明治国家)を創生するのが司馬遼太郎の物語(自己認識)である。すなわち着目点、日本人の原型の置きどころが梅原猛とは決定的に異なると思います。
梅原猛のスーパー歌舞伎はどうしても好きになれない。講演も何度か聞きに行ったが、肌が合わない。(個人的ですが)尊敬する司馬遼太郎と比べることはないのですが・・・政治家に取り入ることが上手な梅原は思想家と言った。一方司馬遼太郎は小説家と言いました。
歴史教育・・・自国の問題です。
隣国との共通認識は理想ですが、先ずは日本の歴史認識を確立することが大事です。
梅原猛は中曽根首相と仲が良かったが、二人とも風見鶏
が信念。

投稿: | 2007年6月26日 (火) 14時42分

[坂の上の雲」大変面白く読みました。歴史の教科書なんかよりヨッポド面白くて、こういう本から歴史を教えられないかと思ったものでした。たしかに、歴史教育は本当にヒドイものでした。祖国を考えないことは、勿論、世界を考えないことでもあります。自己を甘やかす事もいけませんし、外国におもねるなんてもっての他ですが・・・幅ひろく、世界の動きの中で、当時の風潮をとらえるのには、相等の勉強が要りますね。皆様の議論で勉強します。しっかり、読みこんでいますよ。

投稿: 山口ももり | 2007年6月26日 (火) 17時12分

SUKIPIOさん、コメントありがとうございます。
「漆の実のみのる国」は、まだ読んでないのですが、小説というよりノンフィクションの観を呈していると言われていますね。また、題名からの想像ですが、改革者たちの活躍よりも、漆の実のみのる前の米沢藩の苦しみを描いたものでしょうか。なかなか好転しない今の不景気・・・何か教訓が引き出せるところがあるのでしょうね。

>評価する方の人材が、お粗末であった処が原因でもあったのでしょう。
まさに、その通りというか、それが戦後教育を歪んだものにしてしまったと思っています。SUKIPIOさんのおっしゃること(「日本人であるべき誇りを探る子孫の間違ったナショナリズムを生む事に成りかねない様にも思われ、危惧される事でもありますね。)、懸念されますね。反動が怖いです。実際、その国の為政者を非難するのではなく、「民度が低い」などと批判する人々がいます。韓国の反日運動が教育のせいであることを考えずに韓国人をむやみに攻撃することなど、その例かと思います。

投稿: ミーシャ | 2007年6月28日 (木) 09時36分

kju96さん、コメントありがとうございます。
司馬史観の日本人の原型の置きどころが、梅原猛とは決定的に異なる点ですね。また、梅原猛は、西洋哲学や西洋文明に対しても否定的な姿勢をとりますね。とても偏狭な視野から世界を見ているような気がしますが、多くの人々からも異色な存在としてみられていますね。右寄りな立場かと思える言動かと思えば、左派的な運動もする・・・イデオロギー自体に批判的なんですね。

投稿: ミーシャ | 2007年6月28日 (木) 11時08分

ももりさん、こちらにもコメントありがとうございます。

>幅ひろく、世界の動きの中で、当時の風潮をとらえるのには、相等の勉強が要りますね。
例の米下院議会で採決された従軍慰安婦問題でも、賛成に票を入れた議員のなかには、日本の歴史を知らないで人権問題としてのみで投票した人がほとんどだったと思われます。そうだとしても、米国自身の今に至る非道な歴史的問題を棚にあげての投票です。歴史は歴史家に任せるのが妥当かと思います。

投稿: ミーシャ | 2007年6月28日 (木) 11時23分

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