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2009年6月の1件の投稿

「潘基文国連事務総長は世界で最も危険な韓国人」

米国の雑誌「ニューズウィーク」が、潘基文(バン・キムン)国連事務総長を無能だと批判しています。「世界で最も危険な韓国人」として潘さんを取り上げており、歴史的にレベルの低い国連事務総長のなかでも際立って無能であるし、核拡散の脅威や難民危機にも関心を示さない潘のおかげで、国連はあってもなくても関係ない存在に堕ちた」と。さらに、オフィスの壁にサムスン電子の薄型テレビを並べ、上級顧問に韓国人の仲間たちを選ぶなど、韓国経済の利益を図った事を指摘し、それ以外に何の功績もないと酷評。

もともと、米国が潘さんを国連事務総長として歓迎したのは、徹底した反米的なアナン前事務総長に手こずった後だったからと言われています。潘さんは韓国内でも、上司の言うことは何でも聞く「イエスマン」(韓国経済新聞)、「米国べったり」(アジア外交筋)、「本音を出さず、無色無臭で生き残った」(韓国紙日本特派員)などの評価があるからでしょう。 今までも何かと評判の悪かった潘さん、国連の主要なポストに自国民を起用したことから縁故主義であるとして、国連内部から反発が生じています。韓国が縁故主義の国だからといって、それを国連にまで持ち込むとは見識を疑う。また、そのほかにも事務総長としての「中立性が保たれていない・自ら破っている」と指摘される出来事を起こしています。

昨年の「国連の日」、恒例行事として国連本部で行われる事務総長主催のコンサートが開催されたのですが(加盟192カ国の大使や外交官ら約1600人が出席)、このコンサートに場において、韓国国連代表が作成した「Welcome to KOREA」と題されたパンフレットが配布されました。日本海を「東海」などと表記した英文のパンフレットが式次第とともに配られたのです。事務総長が主催する国連コンサートで韓国側がこうしたパンフレットを配布したのは過去に例がなく、国連側はその場で回収するなどの措置も取らなかったそうです。翌日、日本の国連代表部は国連事務局と韓国国連代表部に対し、文書などで抗議を行いました。 一部では「彼が事務総長である間は日本の常任理事国入りは叶わない」とも囁かれているらしい。それなら、一刻も早く辞任してほしいですね~

「世界で最も危険な韓国人、潘基文」より一部抜粋
ニューズウィーク日本版   2009年06月23日(火)

歴史的にレベルの低い国連事務総長のなかでも際立って無能。核拡散の脅威や難民危機にも関心を示さない潘のおかげで、国連はあってもなくても関係ない存在に堕ちた。

見た目にはきわめて重要なポストでありながら、歴代の国連事務総長はどちらかと言うと大した実績を上げてこなかった。

だがこれだけ情けない前任者たちと比べても、今の潘基文(バン・キムン)事務総長の無能ぶりは際立っている。韓国外交通商部長官(外相)から現職に転じた後の2年半の間に、何かとんでもない失敗を犯したというわけではない。

 だがグローバルな指導力が切実に必要とされ、地球温暖化や国際テロ、60年ぶりの金融危機への対応が求められているときに、潘は世界中で名誉学位を収集して歩き、見事なまでに何も記憶に残らない声明を発表し、事務総長として影響力を発揮できたかもしれない貴重な機会を無駄にすることに費やしている。

 彼は、行き当たりばったりに世界のあちこちを旅するいわば「偶然の旅行者」になった。遊び半分の事務総長だ。

国連は今や存在しないも同然に  核拡散防止やアフガニスタン復興に貢献するため、大胆な演説で国際世論の支持を呼びかけるわけでもない。人権の擁護者として活躍するどころか、難民を助けようともしない。

 例によって名誉学位を受けるため4月にマルタを訪問したときは、マルタがアフリカからの不法移民を船でイタリアに送り出している問題について聞かれたが、答えは逃げ腰だった。「介入する立場にない」

 スリランカ内戦で多くのタミル人が「人間の盾」として反政府組織に海岸沿いに連行されても、潘とその顧問たちはニューヨークの国連本部で手をこまねくだけで、やっと現地に赴いたのは内戦が終わってからだ。  彼の指揮の下、国連は単に役立たない組織になっただけでなく、あってもなくてもほとんど関係ない存在になった。

 潘の欠陥は、彼が韓国の外交官として働いた数十年を振り返っても明らかだ。当時のあだ名「官僚中の官僚」が、その欠陥をよく物語っている。

 潘にとって幸運なことに、そして世界にとっては不運なことに、徹底して反米的なアナン前事務総長に手こずった後、アメリカのブッシュ前政権は官僚タイプを求めていた。アジアから国連事務総長を選ぶ順番が回ってくると、ブッシュ政権のコンドリーザ・ライス前国務長官は、潘を当選させることを自らの使命と心得た。

 だが外部の専門家には、潘は不評だった。ジャーナリストのジェームズ・トラウブは、著書「善意」のなかで、事務総長選の最中の潘がニューヨークのシンクタンク、外交評議会で行った演説を回想している。「退屈な演説と意味のわからない下手な英語のせいで、ついうたた寝をしてしまった」

オフィスに並ぶサムスン製テレビ  眠気をもよおす潘効果は、事務総長としても発揮された。ある国連ウォッチャーは私に、潘は有名な哲学問答にある「誰も見ていないところで倒れた木」のようだと語った。誰も聞く者がいないなら、木は倒れる音を発しなかったのと同じだが、潘の場合も同様に、何も言っていないのに等しいというわけだ。

 オフィスの壁にサムスン電子の薄型テレビを並べ、上級顧問に韓国人の仲間たちを選ぶなど、韓国経済の利益を図ったという点を除けば、彼の足跡はほとんど無視できるほどでしかない。

 潘でさえ、自分にどれほど存在感がないか気づいているようだ。08年8月、イタリアのトリノで国連幹部を相手に潘は、国連内に蔓延する官僚的な無気力症を克服することの難しさを嘆き、最後は格言を引用して敗北を認めた。「私は自ら範を示して指揮しようとしたが、誰もついてこなかった」  国連事務総長はうまくいけば、世界の良心を刺激して変化のための真の触媒になれるはずだ。たとえば50年代に事務総長を務めたダグ・ハマーショルドは、ニュース価値が高くしかもしばしば危険な使命を担うことで、国連の役割を拡大しようとした。

 ハマーショルドは毛沢東政権下の中国指導者たちと会い、朝鮮戦争の間に捕虜になった15人のアメリカ人を解放させ、非植民地化の過程のコンゴが内戦に陥るのを防ぐため数度にわたって現地を訪れた。

 80年代に事務総長を務めたハビエル・ペレス・デクヤエルは、フォークランド紛争でアルゼンチンとイギリスの調停役を務めたことや南アフリカが実効支配していたナミビアの独立を支援したことで称賛を浴びた。

 今までのところ、潘にそうした実績はない。まるで、彼が名を上げるのに足るだけの危機が今の世界には存在しないかのようだ。スリランカ、スーダン、中東と出番はいくらでもあるのだが、こうした国や地域に影響を及ぼそうとする気配もない。そんな気があるかどうかさえ怪しいものだ。

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