パール判事の言葉
首相「パール判事の話楽しみ」
2007/08/14安倍晋三首相は14日夕、21日からのインド訪問中に極東国際軍事裁判(東京裁判)で判事を務めた故パール氏の長男と会談することについて、「パール判事は日本とゆかりのある方だ。お父さまの話をうかがえることを楽しみにしている」と述べた。首相官邸で記者団の質問に答えた。
パール判事は、戦勝国が敗戦国の指導者を裁くことに疑問を提起、判事の中で唯一被告人全員の無罪を主張した。パール判事の長男との会談がアジア諸国などの反発を招くのではないかとの指摘には、「そんなことにはならないと思う」と否定した。
昨日は終戦記念日。
安倍首相は、来週東南アジアへ行きますが、インドでは故パール氏のご長男に会われるとのこと。こういった形で、パール氏が話題になることは良いことです。森さんも、小泉さんもインドへ行かれましたが、パール氏の事は一切報道されませんでした。ご子息との会談があれば、報道せざるを得ません。
NHKスペシャル「パール判事は何を問いかけたのか~東京裁判 知られざる攻防~」や「憲法」も見ました。両方ともNHKにしては今までより、ややニュートラルなスタンスだったような気がします。以前、ゲストのSUKIPIOさんが下記のようなコメントを入れて下さったことがあります。
戦後、パール博士は胆石が持病であり、主治医からも、「命にかかわる」と訪日を止められていたのだが、博士は「人生のたそがれどきに、ぜひもう一目だけ、日本を見たい」との強い願いから、無理を承知で我が国の土を踏んだ。
1966年10月3日午後4時40分、細いからだを両脇から支えられた博士は、合掌したまま中央通路を進み、下手から演台に上った。
聴衆が固唾をのみ見守る中、静かな緊張が走った。だが博士は合掌をして深い黙礼を送るだけで、前かがみの姿がかすかに震えている。沈黙の中、苦痛のせいなのか、長身を不器用に折り曲げた黒い影がゆれている。
聴衆は気付いた。強い感動が博士の心をとらえ、そのからだを震わせているのだということを。場内にすすり泣く声が会場に広がり、そんな時間が流れ、やがて「無言の講演」は終わった。
中央通路を通り出口に向かう博士を、観衆は立ち上がって拍手を送った。そして、その殆どは合掌して博士を車まで見送った。無言が人々の心に雄弁に語りかけた数分間であった。
帰りの車中、博士はもらしたという。「胸がいっぱいで、口を開くことができなかった。」ホテルに戻りベッドの上に端座すると、博士はまた長い合掌を続けた。最後の訪日、80歳の出来事であった。
(以上、パール博士の人柄を見る事からも、他の資料より抜粋させて頂きました)
日本が敗戦で呆然自失し、思想的にも文化的にも日本人のアイデンティティーを失っていた時代に、パール判事は日本人に勇気と希望を与えてくれました。
東京裁判の判事で唯一の国際法学者インドのパール判事は、日本が国際法に照らして無罪であることを終始主張し続けました。日本が正しかったと言っているわけではありません。勝者の連合国も、敗者の日本も、同罪だと言う判断で、戦勝国が敗戦国の指導者を裁くことに疑問を提起、判事の中で唯一被告人全員の無罪を主張しました。
パール博士来日講演記録
「わたしは1928年から45年までの18年間(東京裁判の審議期間)の歴史を2年8カ月かかって調べた。各方面の貴重な資料を集めて研究した。この中にはおそらく日本人の知らなかった問題もある。それをわたくしは判決文の中に綴った。このわたくしの歴史を読めば、欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人であることがわかるはずだ。しかるに日本の多くの知識人は、ほとんどそれを読んでいない。 そして自分らの子弟に『日本は国際犯罪を犯したのだ』『日本は侵略の暴挙を敢えてしたのだ』と教えている。満州事変から大東亜戦争勃発にいたる真実の歴史を、どうか私の判決文を通して十分研究していただきたい。日本の子弟が歪められた罪悪感を背負って卑屈・退廃に流されてゆくのを、私は見過ごして平然たるわけにはゆかない。彼らの戦時宣伝の欺瞞を払拭せよ。誤られた歴史は書き換えられねばならない。」
原爆の広島 http://www6.plala.or.jp/mwmw/kotoba.html
パール博士は、広島の爆心地本川小学校講堂で開かれた世界連邦アジア会議にゲストとして参加された。この会議は独立したばかりの新興アジア諸国の指導者を交えた14カ国、45名の代表と千余名の世連主義者によって構成された。壇上には連邦旗を中心に左右に「人類共栄」「戦争絶滅」のスローガンをかかげ、馬蹄形の議事場には14カ国の代表と正面に下中大会委員長、特別来賓のパール博士と英国のボイド・オア卿(ノーベル平和賞受賞者)が着席した。 博士は45分間にわたる特別講演をおこなった。この講演は、アジア会議の性格を規定する重大な意義をもつものとして注目された。 「人種問題、民族問題が未解決である間は、世界連邦は空念仏である。」と前提して博士はこう述べられた。「広島、長崎に投下された原爆の口実は何であったか。日本は投下される何の理由があったか。当時すでに日本はソ連を通じて降伏の意思表示していたではないか。それにもかかわらず、この残虐な爆弾を《実験》として広島に投下した。同じ白人同士のドイツにではなくて日本にである。そこに人種的偏見はなかったか。しかもこの惨劇については、いまだ彼らの口から懺悔の言葉を聞いていない。彼らの手はまだ清められていない。こんな状態でどうして彼らと平和を語ることができるか。」 白人代表を目の前にしての痛烈な民族・人種問題についてのこの講演は、会議の性格を一変したといっていい。 この博士の講演に引き続き無残にも悪魔のツメアトも生々しい4名の原爆乙女が壇上に立った。ケロイドで引きつった顔に黒眼鏡をかけた佐古美智子さん(当時20才)が、 「わたしたちは、過去7年の間原爆症のために苦しんできましたが、おそらくこの十字架はなほ長く続くと思われます。しかし、わたしたちは誰をも恨み、憎んではいません。ただ、わたしたちの率直な願いは、再びこんな悲劇が世界の何処にも起こらないようにということです・・・。」と、涙にふるえながらメッセージを読みあげれば、会場は感動のルツボと化し、嵐のような拍手が鳴りやまなかった。感極まった比島代表のアンヘルス氏が原爆犠牲者に一分の黙祷を提案した。一同起立して、黙祷を捧げた。米代表のマックローリン夫人が「わたしはアメリカ人としてこの原爆に責任を感じています。この悲劇がふたたび起こらないよう生涯を通して原爆阻止運動に献身します。」と誓いの言葉を述べた。そして乙女たちの一人一人を抱いて頬に感激のキスをおくった。博士によればこれこそアメリカ人にして《原爆の懺悔》をした最初の人であった。


最近のコメント