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世界を驚かせた日英同盟

今の中韓と反日的日本人には悪口ばかり言われている日本ですが、日本の歴史をひもとくと、いつの時代にも素晴らしい活躍をしていることが分かります。日清戦争終了後と日露戦争前の世界情勢というのはかなりドラマチックでした。世界から奇跡的と言われた「明治維新」を成し遂げた日本でしたが、その後も有色人種が蔑視され続けたなかで、日本人は世界をアッと言わせるようなことをしています。

日本が日清戦争に勝って、朝鮮半島に大韓帝国が生まれたことは朝鮮にとっても日本にとっても良いことでしたが、そのほかに日本は講和条件として遼東半島台湾を割譲されることになりました。この当時、台湾は「化外の土地」と言われ、本国から省みられることのなかった地でした。遼東半島もまた万里の長城の外にあり清国固有の領土というわけでもありませんでした。つまり、台湾も遼東半島も清にとっては比較的重要な地ではありませんでした。が、アジア大陸の南下に野心を持つロシアだけは遼東半島にこだわったのです。ロシアはドイツフランスを誘って遼東半島割譲を妨害することにしました。これには以夷制夷(外国を遣って外国を制す)という伝統的発想を持つ清も、ロシアとドイツ・フランスに日本を抑えてもらえれば、いかなる報酬を与えても良いと思ったという背景がありました。これが三国干渉ですね。

結局、日本は遼東半島を清に返還しましたが、清は三国干渉を契機に欧米列強の餌食になっていきました。清の以夷制夷が失敗しました。また、この情勢を見て朝鮮政府内の親ロシア派が台頭し、事大主義(近隣の大国に従属して自国の存続を図る)政策を好む朝鮮の人々は、日本を侮るようになっていきました。この結果、大韓帝国はわずか数年の内にロシアの保護領同然になってしまいました。何のために日清戦争をやったのか分からないような事態ですね。

しかも、ロシアは「東方を征服せよ」というロシア語に由来するウラジオストクに海軍基地を置いていましたが、冬には凍結してしまう。そこで韓国領内に拠点を築きだしました。これは日本の防衛にとって大変な脅威です。とは言っても、ロシアとの開戦は勝ち目がありません。ところが、思わぬ味方が現れました。大英帝国です。明治35年(1902年)の日英同盟が日本を開戦に踏み切らせました。この同盟は日本にとっても国際社会にとってもビッグニュースでした。当時の大英帝国は「栄光ある孤立」を誇りにしていて、ヨーロッパおいてすら他国と同盟を結ばない国でしたから。では、なぜ日英同盟は生まれたのか。

清は日本に圧力をかけることを白人諸国に頼んだために、白人諸国に侵略され悲惨な状態でした。そこで義和団という宗教集団が白人排斥の乱を起こし清全体に広まりました。各地で白人が殺され、教会が焼かれ、北京を制圧し公使館地域を包囲する事態に。清国政府は傍観するのみ。欧米諸国は驚愕し自国に援軍を求めようにも間に合わず、みな日本が援軍を派遣することを望みました。しかし、日本は正式な要請がなければ決して動きませんでした。白人中心に世界は回っていましたから、日本政府はあくまで欧米との協調を優先していました。日本は模範生になるしかなく、全てにおいて涙ぐましい努力の連続の時代でした。欧州各国の意見を代表する形でイギリス政府から正式な申し入れが来て初めて日本は出兵を承諾したのです。

日本から派遣されたのは山口素臣中将引きいる第五師団。彼らは常に欧米連合軍の先頭に立ち、猛暑の中を奮闘。天津も北京も落城します。この時の様子をみて、欧米諸国は日本軍の規律正しさに感嘆しました。特に驚いたのは、日本軍だけが占領地域で略奪行為を行わなかったことです。当時の欧米の兵たちの間では略奪や強姦が常識とされていました。実際、北京でも上海でも大規模な略奪などが行われました。中でもロシア軍は最も悪質・・・日本軍が警備していた清朝の離宮に侵入し財物を根こそぎ持ち帰りました。イギリスのタイムス紙にも「組織的剥奪」と載りました。軍隊そのものが略奪集団となっていたわけです。そういうイギリス軍兵士も略奪した宝石など公使館内でオークションにかけたそうですが。ともあれ、日本軍だけは任務終了後直ちに帰国し、各国からの評価が大変良かったのでした。また、第五師団が到着するまで、北京の公使館区域が持ちこたえたのも日本人の活躍が大きかったのです。北京にある11カ国の公使館員を中心に作られた義勇軍のうち、日本人義勇兵が最も勇敢で功績がありました。日本人は受け持ち区域を防御するだけでなく、イギリス公使館が襲撃された時にも救援に駆けつけ撃退しました。当時日本人とつきあう欧米人はほとんどいなかったのですが、この籠城を通じて、日本人の姿が模範生として、みんなの目に映るようになったのでした。これが、日英同盟を結ぶに至った理由です。イギリスの外交官も記者も、日本軍を見ていたのですね。

世界を驚かせた日英同盟の実現は、この北清事変での日本軍の活躍が信頼を高め、イギリスの日本観が変わったということでしょう。この日英同盟はその後20年間続きました。イギリスと同盟を結んでいるということで、日露戦争以後も日本は大きな利益を受けることになります。20年でなく、ずーっと同盟を結んでいたかったですね。

ところが、この日英同盟の解消を企んだのは、米国と清国でした・・・。
彼らは日英同盟によって日本の地位が向上するのが不満でした。米国は新たな開拓地をアジアに向けていた時期です(国内のどの土地にも入植者が入って、フロンティアの消滅を宣言したのが1890年)。

今の世界情勢を見るにつけ、米国も中国も韓国も歴史(史実)を忘れているのではないかと思ってしまいます。日本に歴史問題をつきつけて人権とか人道とか叫ぶばかり。日本は日清戦争から大東亜戦争まで、開戦に至る理由がありました。そのことを日本人がまず歴史を勉強して知らなくてはならないと思います。そうでなければ、護憲か改憲かという問題一つとっても何も考えられないのではないでしょうか。

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